育った時代、田舎ではどの家も自前の畑を持ち、野菜果物はすべて自給するのが一般的だった。
うちでも祖母が小さな畑でありとあらゆるものを育てていて、物心がついた頃からよく手伝っていた。
裏庭のこんにゃく芋でこんにゃくを作り、収穫したゴマでごま豆腐を作り・・・何種類もの漬物が常にあり、お茶も自家製。豊かな食卓であった。
川遊びを楽しみ、ホタルを追いかけ、花かご片手に菜の花やレンゲ畑の中をひとり散歩し、隠れ基地を作り・・・日々自然に浸りきっていた。
私の深いところにはその時代の風景が映像として刻まれ、折りに触れよみがえってくる。
都会の真ん中で華やかな時代を生きながらも、一方では「森の生活」を読み、シュタイナーに惹かれ、ビル・モリソンに憧れ、福岡正信さんの山に行き、ジョー・ポラッシャーのパーマカルチャーデザインコースを受けた。
長い時間を経て地球環境までもが変わってしまったけれど、この田舎にはまだ自然の名残リが垣間見える。ようやく今また自然に寄り添った真に喜びある暮らしができる状況になってきた。
人間界はコロナに戦争に経済問題に・・・と騒がしいけれど、残りの人生はできるだけ自然に寄り添った暮らしの形を模索していきたいと思っている。
家周りをセメントで固めたり、草一本も生やさないように管理したりせず、土壌を自然循環の中に戻すことで人も地球も蘇る。
草も木も野菜も虫も・・・人間も、渾然一体となって、のびのびと成長できるような美しい環境を作りましょう!という運動のはじまりの一歩。
20年前に行政にエディブルランドスケープの話をしても完全にスルーされていたが、何とアメリカではとっくの昔に行政が都市型庭園を推し進め、2014年には「都市を耕す エディブルシティ」という映画も制作されていた。最近知って愕然、流石に清濁併せ持つアメリカ。
すべては一人から。身の回りから。
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