2021年度の、日本の食料自給率は38%。なんと恐ろしい数字だろう。
ウイルスが蔓延し、紛争の絶えない世界の中で食料自給が100%できない国なんてありえない。
その上円安が進んでは危機感はMAX。
この国の政治はどうなっている、政治家は官僚は何をやっている!と自分の手の内にないものを攻め立てても何の解決にもならない。
国民一人ひとりが問題を問題として認識し、自分のできることで問題に向き合うことが大事。それが大きな流れとなって国を動かす。
食べるもの、買うものを意識を持って選択することは、志の高い会社を応援することにもなる。
企業は売れるものをつくる。「買う選択」は商品の質に直結する。
その国に流通するものは、消費者の志向・思考・嗜好ということになる。
あらゆる場面で一人ひとりの思考や行動が世の中の流れを作る。面倒くさがり返上!
土は宇宙からの頂き物。草が生えるということが食べ物も育つということ。セメントなどで固めたりしないで、隙間の土地があったら種をまこう。食べた野菜や果物の種でいい。種を撒こう!
パンの材料には米を3〜4割は使おう!
日本は米の需要が年々減少し歯止めがかからないようだ。一方で小麦と大豆の需要が高くそのほとんどを輸入に頼っている。
小麦の需要は主にパンや麺類だが、特にパンは今やほとんどの家庭で欠かせないものになっている。
うちでもパンを焼くが、材料の4割は玄米ご飯を使っている。これを売り出せば、健康的で他ではない美味しさなので行列間違いなし!笑
すべてのパン屋が3割でも米を使ってくれればずいぶん違ってくるのではないか?
日本独自の材料と質感で、非常食の缶詰パンにも向いている。
商品開発したい!輸出にも向いてるんじゃない?
話はあちこちに飛んでいるが、まあ、意識を持って暮らそうということ。
家庭菜園もその一つ、時間と土地があるならばメリットは大きい。
マンションのベランダでも十分できる。
農作業の効用
暮らしの中で野菜を育てることは、時間と手間とお金と知恵と・・・いろいろなものが必要ではあるが、そのメリットも大きい。
高齢者と農作業
農作業は健康寿命を伸ばすことにも貢献しているようだ。
「毎日欠かさず運動習慣を!」といってもなかなかできることではないが、野菜という生き物が相手であれば自ずと体が動くし、その新鮮な収穫物を食べることで健康に貢献する。
またコミュニケーションツールにもなるようで、農作業をしている人は、運動能力とともに、心身の健康状態も良好らしい。
農作業が一定のストレスを軽減させ、幸福度を増加させる効果があることは、JA全中と順天堂大学の研究でも科学的に実証されている。
日本では、平均寿命と健康寿命の間に10歳ほどの開きがあるようだが、今後も高齢化が進む状況では、この差を縮めていくことが国の財政面でも生産性向上の面でも大きい。
行政や福祉関係、JAグループなどが連携して、障害者とともに高齢者の農業への取り組みを強化していこうという動きもある。
なにも大規模機械化農業を拡大させることだけが農業推進ではない。人口の半分が個人農業をやれば、自給率も変わってくるのではないか?
自然との向き合い・自分との向き合い
植物を育てていると自然の移ろいに敏感になる。日々、小さな変化に驚き、喜び、悲しみ、怒り、愛おしみ・・・感情がよく動く。
小さな場所を見ながら地球を宇宙を感じることにもなる。
人間は頭の中で一人おしゃべりしていることがとても多い。意外と醜悪な感情が渦巻いていたりもする。そういう事に気づいている人たちは、瞑想の時間を持つことで浄化を試みる。
農的作業をしている時は間違いなく無の状態。ヘタな瞑想よりも浄化の役割を果たしてくれる。
最初は時間も手間もお金も出ていく一方だけれど、自然農で辛抱強く土を育てていけば(余計なことをしなければ勝手に育ってくれるのだが)、手間少なくコンスタントに美味しい野菜が育ってくれるはず!
心も体も癒してくれる大きな存在になるはず!
植物は全能
菜園をはじめて2年目。一番の驚きはこぼれ種の生命力だった。
コンポストキエーロを作るまでの1〜2ヶ月、畑の隅に穴をほって生ゴミを埋めていた。
キエーロは、土の中の微生物と太陽の光で生ゴミを分解していく方法なので、BOXがない状態でもある程度機能する。
今年は、その生ゴミの中にあったかぼちゃと去年の栽培中に落ちたミニトマトの種が凄まじい生命力で成長し収穫に至った。ミニトマトは、去年よりも二回りくらい大きい実が倍量収穫できた。
適地・適期に芽を出し、自ら成長し実をつけ種を繋いでいく力、福岡さんの世界だ。
殆どの野菜は、長い年月をかけて、人間の食べ物として毒性を取り除き、嗜好に合うように味を調整し、実が落ちないようにと操作され続けているが、それでも野生が残った植物は、自ら種を落とし自然発芽出来る。
自然農で進めていこうと思っているので、むやみに肥料を入れたりPH調整したりはしていない。
地力がないので蒔いた種はなかなかいい状態で収穫することはできないが、植物本来の生命力を目の当たりにし、本来、人間の出る幕はないのだということを実感した。
ただし、長い年月をかけて人間の食べ物として操作してきた作物は、野生の植物のように何もしないわけにはいかない。
様子を見ながら適宜補助しないと収穫に至らないものが多い。最小限の手出しで自然の循環の中で作物の収穫を得ることが、土を疲弊させず、農業の持続可能性を担保するものではないか?
食料や種子の自給率向上への意識
野菜の種を探していると、日本産の種の少なさに驚く。日本野菜の象徴のような名前の野菜の種が、多く?ほとんど?外国産なのだ。種までも外国に頼っている。
数少ない日本産の種は品切れ状態が多く、なかなか手に入らない。
日本の様々な現状を知るたび、一体どういう流れで自分たちの繋いできた技術を簡単に捨て去り海外に依存するのか。時流や目先の「コスト安」にばかり囚われていていいのだろうか?
海外に設備投資をし、不良品を自前で処理し、高い運賃や税や諸々を考えれば、果たしてコスト安になるのだろうか?
世界は刻々と変化する。いつまでも低賃金のままでもない。完成度も違う。生産現場と距離があっては、この目まぐるしい変化の時代に臨機応変に対応できない。
結局日本に戻りたいと思ったときには技術も人材もない。
うまくやっているなと思う会社は、世の中の流れに安易に乗ることなく独自のやり方で、時流に乗っている。
国境もなくすべての人間が平等に平和に幸せに暮らす世界がくれば何よりだが、まずありえない。
健全な国があってこその日常である。子供も育てられる。
生まれた国を愛おしんで大事に育てていく意識は命をつなぐ土台。
まずは食料。自国の食料は100%自分たちで賄わなければならない。その大元の種も勿論100%自国で管理しなければならない。当然のことである。最低限の危機管理である。
全ては一人ひとりの意識から始まる。
庭先の隙間に種をまこう!